自然環境に恵まれている三浦半島では、人々の生活が10000年以前より営まれており、その痕跡は数々の遺跡、貝塚によって知ることができる。
では、三浦半島の「三浦」という地名はいつごろから呼ばれるようになったのであろうか。
三浦半島の地名の由来を現在の文字から解明すれば、三方を海に囲まれている所という地名であるが、半島はすべて三方を海に囲まれているのだから、三浦半島だけがそのあたりまえの名称をつけているのには何か訳がありそうである。
その答えは「日本書記」にあった。
持統天皇の6年(692)5月に、相模国司が三浦半島で捕れた二羽の赤烏(からす)を献上した。赤烏は中国の周の武王が殷の紂王を討とうとした時にあらわれたという故事に基づき、お目出度いきざしであるとして喜んだ天皇は、この赤い烏がとれた場所に「御浦」(みうら)という地名を与え、3年間土地の産物を納める「調」の税を免除した。
「三浦」の地名は、日本書記によれば「天皇から賜わった海辺」ということになり、それではあまりに恐れ多いということで、現在の「三浦」の文字をあてるようになったという。
(郷土史家 山本詔一)
|